巻頭言「そんなことがあってはならない!」加藤 誠

 主イエスが語られたたとえ話に「ぶどう園と農夫のたとえ」があります。

 ぶどう園の管理を農夫たちに委ねて長い旅に出た主人が、収穫を収めさせるために僕を派遣すると農夫たちは袋叩きにして追い返した。同じことを三度繰り返した後、主人が「愛息なら言うことを聞くだろう」と派遣すると、農夫たちは息子を殺してぶどう園を乗っ取ってしまった。それを知った主人は農夫たちを殺し、ぶどう園を他の農夫たちに与える…というたとえ話です。

 この話を聴いた弟子たちは「そんなことがあってはなりません!」と答えました(ルカ20・16)。彼らが「そんなこと!」と言ったのは、もちろん農夫たちの行動のことでしょう。主人が長い旅に出たのを良いことに「ぶどう園を自分たちのものにしてしまおう」と主人の息子を殺してしまうとは、傲岸不遜以外の何ものでもなく、主人の怒りを買うのは当然のことだからです。

 しかしながら、まさにこのたとえ話と同じように、神が深い愛をもって派遣された独り子イエスを十字架につけて殺してしまった人びとを神はどうされたか。主イエスを裏切った弟子をはじめ、処刑に関わった者たちの責任を厳しく問い処罰して良いはずの状況で、神は深い憐れみをもって人びとを赦されたのでした。もしこれが人間の裁判ならば「そんなことあってはなりません!」と、原告が被告への厳罰を求めて叫んでもおかしくない状況において、神は深い祈りをもって私たち人間に対する赦しを選ばれたのです。

 なぜなら「神が御子を遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世を救われるため」(ヨハネ3・17)であり、「信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るため」(同16)だからです。

 今朝も聖書からこの命を受けていきましょう。