巻頭言「この命の言葉を 加藤 誠」

 この一週間「世界祈祷週間」を覚えてきました。心の扉を世界に向けて開き、祈りにおいて神と隣人につながる歩みが起こされることを祈ります。

 特に今年はミャンマーのキリスト者たちを覚えて祈りたいのです。ミャンマーでは今年2月の国軍によるクーデター以後、キリスト教会が糾弾のターゲットにされています。多民族国家のミャンマーでは、多数派のビルマ族に仏教徒が多いのに対してキリスト者は少数民族に多いため、以前から迫害の対象となってきましたが、国軍のさまざまな統制に恭順の意を示さないキリスト者を厳しく迫害し「見せしめ」にすることで国民の心の統制を強化する狙いがあるようです。キリスト者の村を焼き払い、コロナ禍で病院に行けない人たちへの医療行為を許可なく行ったという理由でカトリック教会を砲弾で破壊するなど、今日も多くの涙が流されている地で、しかしキリスト教会の「祈り」は弱まることなく熱くささげられ続けています。

 「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(使徒言行録5・20)。

 主イエスの十字架の場面では雲隠れしてしまった弟子たちが、使徒言行録では人びとの前に自分をさらして力強く福音を語り始めました。彼らは相変わらず「無学で普通の人」(使徒4・13)でしかありません。ただ一つ違うとすれば、彼ら自身が「祈る者」とされたということです。弟子たちはかつて主イエスが独り祈っている時に居眠りしていた者でしたが、「祈るほか何もできない自分たち」であることを知らされた時、彼らの上に聖霊が注がれて「この命の言葉を残らず語る者」に変えられていったのです。