巻頭言「いのちの水」加藤 誠

 人間は、水なしに生きることはできません。

 成人の体は約六割、赤ん坊は約八割が水分で成り立っていて、その中の一%の損失で喉が渇き、二%の損失でめまいや吐き気、一〇%の損失で筋けいれんや失神、二〇%の損失で生命の危機に陥るのだそうです。

 そのため毎日約二リットルの水分が必要であり、水分補給によって体温調節が適切に行われ、血液を通して栄養素などが体中の細胞に届けられ、老廃物を外に出すことができるのです。

 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来なさい」(ヨハネ7・37)。

 ここで主イエスが語られたのは、もちろん口から飲む水のことではなく、私たちの魂が必要としている「霊的な水」のことです。

 この「霊的な水」は「神の愛」と言い換えることもできるでしょう。パスカルは「人の心には神の愛によってしか埋められない空洞がある」と言いましたが、私たちは日々「神の愛」を新たに注がれて初めて「満たされたいのち」を生きることができるのです。

 私たちは日々さまざまなことに忙しくていると、なかなか自分の中の「神の愛の欠乏」に気づかないのですが、「神の愛」から切り離され枯渇していくと、私たちの心に「不安、怒り、苛立ち、憎しみ」などの「老廃物」がどんどんたまっていきます。

 「わたしを信じる者は…その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7・38)。「神の愛」は十字架の主を通して、私たちに注がれます。私たちを「満たされたいのち」に導く「神の愛」を日々求めて、受けていきたいのです。主は求める者に、値なく飲ませてくださいます。