ヨハネ福音書二一章は、ペトロがこれからもなお主イエスの弟子であり続けるために書かれたと言っても過言ではないでしょう。「ペトロよ、君ほど主イエスに心配をかけながらも深く愛された弟子はいないね」と言いたくなります。
この二一章において、主イエスの「一番弟子」を自認してきたペトロの自負は徹底的に砕かれる必要がありました。ペトロ自身の信仰の強さ、主イエスへの愛の深さゆえに「一番弟子」なのではなく、主イエスに「どれだけ赦され、どれだけ深く祈られてきたか」において彼は「一番弟子」であったからです。これから教会のリーダーとして主イエスの大切な働きを受け継いでいくために、ペトロはその最も大切なことをしっかり心に刻む必要があったのです。
そして主イエスは「あなたは、わたしに従いなさい」と改めてペトロを招かれます。他の弟子がどうのではなく、主イエスがペトロに託される現場、働きにおいて、祈りを込めて主イエスに従うようにと招かれたのです。
「あなたは、わたしに従いなさい」。
これはすべての弟子に対する招きです。私たちの日々の祈りが、単に自分の心配や不安の解消を求め、自己実現を願う祈りで終わることなく、十字架に向かう主イエスに従う祈りに変えられていくことの大切さを示しています。
主イエスの命の言葉は、私たちが第一に選ぶべきことと、二番目三番目に後回しにしてもよいことを示し、私たちをさまざまな「思いわずらい」から解放してくれます。またどんな時も共に歩んでくださる主イエスを通して私たちは、悲しみの中に慰めを、失望の中に希望を、苦難の中に賛美を与えられる体験をしていきます。ただその時に、自分の喜びを求めるのではなく、主イエスの御旨にかなう喜びを大切に祈り求めていきたいのです。