巻頭言「あなたがたは地の塩、世の光」 井形 英絵(ふじみ野バプテスト教会)

マタイによる福音書5章13~16節は山上の説教と呼ばれる主イエスのことば群の中にあります。主イエスが語られた場所には群衆と弟子たちがいました。群衆の多くは、4章から想像するに、病気や苦しみ、人生の苦悩を負っていた人々だったでしょう。また弟子たちは先立ってイエスが召し出し、イエスに神からのメッセージを感じ共に行動していました。

 あなたがたは地の塩。塩気がなくなれば何によって塩味をつけられるか…。あなたがたは世の光。隠れることはできない。あなたがたの光を輝かせなさい…。ここには、人々が一体どのような存在なのかが伝えられています。群衆、弟子たちの多くはその時代の力や富には遠い存在だったでしょう。けれども、3~12節で語られている人々のあり様が「幸いである」と主イエスを通して眼差されていると同じ地平で、地の塩、世の光、と語られる。それはどれほどの驚きだったでしょうか。そして、どれほどの喜びだったかと思います。

 そして、それは宣言にとどまりません。地の塩、世の光として、この地で、この世で、どのような役割があるのか、どのように在れるのかが示されているのです。

 塩の役割、光の役割を。塩気を保ち、光を輝かすには、主イエスを通して神から頂き続けることです。聴き、受け止め、信頼して生きてみて、方向転換しつつ、出来事を分かち合う…。

 主イエスを通して示されるダイナミックで生きたことばの働きに今週も与って行きたいと思います。