巻頭言「『我が献身』の祈り」加藤誠 

 今朝の主日礼拝では市川牧人神学生に証しをしていただきます。

 「牧師としての召しをいただいて、すべてを後ろにおいて神学校に行くこと」を「献身」と呼びます。「ちょっと聖書を学んでみようかな」という段階では「献身」とは言わない。なので「献身」は「牧師や主事など教役者としての召しを受けた人の特別なもの」であり、一般信徒には関係ないものと受け取られてきたように思います。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか?

 クリスチャンとして生きる時、そこには主イエスの「召し」があります。それは「わたしに従いなさい」という招きであり、その招きには「献身」が含まれているのではないでしょうか。

 主イエスは召天に際して弟子たちに「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」使命を託されました(使徒1・8)。また使徒パウロは言っています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きたいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12・1)。

 私たちの日々の暮らし、生業、そして人生は、この世の価値観の中にほぼどっぷりと浸かっていますが、その中で「日々主イエスの言葉に従う道を選び取り、主イエスの福音に生きる喜びを伝えていく」という「一本の筋」を通していくこと。この世の価値観との間に深い葛藤を抱えながらも「通していこう」と戦うこと。いつの日か「最期」を迎えたときに、我が人生を振り返って「主イエスの愛を知ることができてほんとうによかった。主イエスと共に歩ませていただいて本当によかった」という感謝をささげることができるように、今日の一日を、小さな出会いを大切にしていくこと。一人のクリスチャンとして生きる「我が献身」の祈りを深めていくことができたらと思うのです。