巻頭言「『愛する自由』に向けて」加藤 誠

 長期計画委員会の「学びの会」(第五回)が本日の礼拝後に予定されています。

 ここ数回は「大井バプテスト教会の指針」に記されている「三つの柱」(教会学校、教会音楽、あけぼの幼稚園)の学びを重ねてきましたが、本日は同じく「指針」で大切にされている「バプテスト主義」が取り上げられています。

 大井教会は一九三一年、「単立」の教会として出発しましたが、戦後、米国南部バプテスト連盟の宣教師たちとの出会いを通して「バプテスト教会」を選び取る教会決議をし、一九四八年一二月に多摩川で大谷賢二牧師をはじめ全員がにバプテスマ(浸礼)を受けて「バプテスト教会」になりました。その「バプテスト」とはいったいどのような教会なのでしょうか。

 他教派との主な違いである「特長」を三つ挙げてみたいと思います。

 ①幼児洗礼をしない(本人の意思による浸礼のバプテスマ)

 ②各個教会が意志をもつ(加盟教派の決議よりも教会総会の決議が「上」で、牧師など教役者の招聘主体は各個教会。教派の人事異動ではない)

 ③牧師も教会員の一人(牧師も総会では一票。教会員の「上」ではない)

 ここに見えてくるのは、信徒各人の「自由な考え、聖書理解」の尊重であり、牧師を含めて信徒間に上下はなく、平たくみんなで話し合い、祈り合い、教会決議を尊重する信仰です。異なる賜物、異なる意見(そこには「信じない」決断も含む)を持つ者同士、多様な人びとの間に働かれる主への信頼です。

 そういう意味で、バプテストが大切にする「自由」は、自分のしたいことをする「自由」ではなく、自分とは違う者、他者を尊重しつつ共に歩むための「自由」であることを、今朝は聖書(ガラテヤ書)に聴いていきたいのです。