巻頭言「語らないわけにはいかない 加藤 誠 」

 今日は教会の暦ではペンテコステ。初代教会の誕生を覚えて感謝をささげるうれしい礼拝の日。しかしミャンマーではSNS上で「祈ってください!」という声すら発信することのできない悲痛な沈黙の暗闇が国全体を覆っている。

この時、私たちはこの日をどのように覚えて礼拝するのだろう。

 国軍のクーデターから約百十日。クリスチャンたちは教会に集うことを禁じられ、当初は利用できていたZOOMも危険になり、息をひそめて自宅にこもる日が続いている。バプテスト連盟の事務所にも国軍が踏み込んできて荒らされ、指導者たちは命の危険の迫りを感じて身を隠しているとのこと。

 ミャンマーのバプテスト連盟はクーデター直後に次のような主旨の声明を公にした。「私たちは聖書に基づく愛と正義、平和、自由を宣べ伝える使命に立つゆえに、聖書の教えに反するいかなる抑圧的支配システムを否認する。私たちは平和と正義、国内和解、非暴力、人権を尊重する国家を求める」。仏教徒が多いミャンマーでは、クリスチャンは少数民族に多く(全体人口の五~六%)、宗教差別と民族差別の二重の苦難を強いられてきたという。少数民族のクリスチャンは官公庁の要職に就くことはできず、十字架を燃やされたり、妨害目的の停電や土地からの移転強要は日常のこと。それが民主化により民族間和解が少しずつ進み、ようやく信仰や発言の自由が認められ、就職機会が広がって来ていた矢先に、再び軍政による思想統制の支配が戻って来たのだ。

 初代教会のペトロたちは、主イエスを十字架で殺した権力者たちから「語るな!」と何度も脅されながら、聖霊の励ましを受け「自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない」(使徒4・20口語訳)と語り続けた。私たちは今年のペンテコステに何を聖書から受け取り語るのだろうか。