山の上の小さな灯り   加藤 誠

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」。

長い間、マタイ5・14の「山の上にある町は…」の意味するところが理解できずにいたのですが、ちょうど十年前の四月に佐々木和之氏(連盟国際ミッションボランティア)と一緒にルワンダに出かけた時、はじめて「あぁ、そういうことか!」と合点のいったことがありました。

首都キガリの夜の街中は、街灯も走る車もほとんどなく、懐中電灯がないと外出できないほど深い闇に覆われていたのですが、丘の中腹にある宿舎から向かい側の丘に目をやると、丘いっぱいに点在する小さな灯りが見えたのです。それは土壁とトタン屋根で造られた粗末な家の窓からもれる裸電球の明かりでした。空と丘の境目が分からないほど漆黒の闇に覆われた夜、「あそこに人が住んで、食卓を囲んでいるのかな」と想像するだけで、異国の地で夜を過ごすわたしの心は温かく照らし出されたのでした。

主イエスが生きた時代、灯りは小さなランプしかありませんから、夜はもっと深い闇に包まれていたはずです。そして、旅と言えば野宿が普通でした。主イエス自身「枕する所がない」と語っています。その旅人たちにとって丘の上の家からこぼれる小さな灯りがどれほど励ましになったことでしょう。

同じように、時代がどれほど暗い闇に覆われていたとしても、その闇の中で神の言葉に聴き従おうとする一人ひとりの存在が「山の上の小さな灯り」なのです。十字架のキリストにおいて世界は新しく創りかえられる。この希望に生きる者は、福音を隠しておくことはできません。福音が「一隅を照らし出す灯り」として働くことを求めるからです。わたしを照らし、わたしの周りを照らし出す福音を、大切に受けて生きたいのです。