命を豊かに受ける  加藤 誠

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10章10~11節)。

 

今朝は「召天者記念礼拝」を共にささげます。この場合、「召天者」とは誰のことを指しているのでしょうか。「召天者」とは「天に召された者」と書きまずが、それは「死んだ人すべて」なのか、それとも「選ばれた人たち」、たとえば「クリスチャン」だけを指すのか。

主イエスご自身は「死後」の世界についてあまり多くを語っていませんが、その教えや譬え話から主イエスの考えを次のようにまとめることができます。

①私たち一人ひとりは死んだ時に神から問われる。「あなたはわたし(神)を愛し、あなたの隣り人を自分のように愛したか」と。

②その問いはすべての人に向けられており、バプテスマを受けてクリスチャンになればその問いを免除されるようなことはない。

③神からの問いにとても満足に答えられない、どう考えても「不合格」の烙印を押されるほかない者のために、主イエスは命を捨てられ、「それでもその人を愛してやまない神の深い愛」を示された。

 

そのように、クリスチャンになってもならなくても、神と隣り人を愛しても愛さなくても「結論は同じ」だとすると、「どっちでも良い」ということなのでしょうか。いいえ。神の深い愛とゆるしを知るとき、私たちの人生に「神の命を豊かに受ける」ことが始まっていくからです。