初めのささやかな日    加藤 誠

 大井教会の週報に『聖書日課』が初めて掲載されたのは一九八六年六月一日です。「み言葉をいただき、ともに祈る」呼びかけをもって始まりました。ただし聖書箇所は主題ごとに新約・旧約からアトランダムに選ばれたものでした。

 現在の「一日一章」形式になったのは一九九二年からです。四月の定期総会で年度テーマ「聖書はわれらの力」が承認され、五月三日にマタイ一章からの「一日一章」が始まりました。以来、二六年間に新約・旧約を八回通読し、今週八月一日からはいよいよ九巡目のマタイ通読に取り組むことになります。

 

 新礼拝堂建築に、私たちに求められていることは何でしょうか。

それは第一にも第二にも、一人ひとりが自分の暮らしの中に「神を礼拝し、従う信仰を建てること」ではないでしょうか。富や権力にまみれた言葉があふれる世界の中で、「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」(ゼカリヤ4・6)、「聖書はわれらの力」と告白する信仰にしっかり立つことです。

預言者ゼカリヤは、バビロン捕囚から解放されて祖国に戻ったものの、自分たちの生活再建を優先し、周辺国からの嫌がらせや飢饉などの困難に苦闘し、神殿再建に力を結集できずにいる人々に神の言葉を取り次ぎました。

「誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである」(ゼカリヤ4・10)。

ゼルバベルは神殿再建事業を推進する総督でした。贅沢を極めたソロモンの神殿に比べると捕囚から帰国したばかりの人々がささげる神殿は「ささやかな建築」に見えたようですが、この世の力に依り頼むのではなく「ただわが霊によって」立つ信仰において神殿建築に取り組むようゼカリヤは励ましたのです。