三浦綾子さんの『光あるうちに』に、三十歳の女性からのお便りが紹介されています。「毎朝起きて食事をつくり、夫を送り出し、子どもを幼稚園に送る。そのあと掃除、洗濯、買い物、そして夕飯の準備をしていると、あっという間に一日が終わる。このような毎日をこれからもずっと繰り返していったい何になるのだろう。自分が生きている意味が分からなくなっている…」。
その読者に三浦さんは自らの体験を踏まえて次のように答えています。
自分は結核と脊椎カリエスを患って一三年間療養した。ギブスベッドで寝たきりの生活。食事や下の世話を受け、洗濯をしてもらい、医療費はかかる、家族に心配はかける、治る見込みはない。自分は廃品同様の人間ではないか、死んだ方がましだ…とつくづく考えた。ところがクリスチャンになって、たとえ寝たきりでも誰かのことを思い、祈ることができると知って、ベッドで仰向けになったまま一人ひとりの友を想いながら、たどたどしくハガキを書き始めた。すると、今まで自分のことばかり考えて自分を情けなく思い、死にたいとばかり思っていた毎日がまったく別なものに変えられていった。そして、自分の病室にはいろいろな人が訪ねて来てくれるようになった…と。
神は、私たち人間を互いに愛し合うように創ってくださいました。私たちは、ひとりでは自分の生きる意味を知ることができませんが、イエス・キリストを通して神様の愛につなげられ、他の誰かの命とつなげられていくとき、私たちの命は神さまの光を受けて照らし出されていくのです。
「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1・4)。