人間らしさの回復    加藤 誠

岩手で震災支援の働きを丁寧に継続されている保守バプテスト教会のS牧師がこの三月十一日に、次のような文章を書かれていました。

「今日は8年目の3.11です。自分のことで精一杯になりがちな私たちですが、ほんの少しでも痛みをかかえた他者のため祈ったり、思い遣ったり、何か手を差し伸べることができるとしたら、それはとても幸せなことです。それは、誰かのために何かをする余裕があるからではなく、人間本来の姿を取り戻したということだからです。隣人を愛するというのは神の命令だからするものではなく、それが回復された人間らしさです。自分のことでめいっぱいであたふたするのはとても人間くさく、そのしんどさに共感できますが、同時にそれでも他者をかえりみることのできる人間らしさを持ち続けられるのが神のかたちに造られた人間のすばらしいところです。」

「隣人を愛するのは、神の命令だからではなく、回復された人間らしさです」という言葉が心に留まりました。
主イエスは当時のユダヤ教徒たちが熱心に守っていた膨大な「戒律」を、シンプルに「神を愛し、隣人を愛すること」の一つにまとめられました。ただし、「愛さなければ救われない」という、「ねばならない教え」として示されたのではなく、私たちが「だれかを大切に想い、自分を差し出し、優しさを分かち合おうとする時、人は、神に創られた人間らしさを取り戻し、神の幸いと喜びを味わう者とされるのだ!」ということを教えてくださったのです。主イエスが私たちに遺された大切な指針を今朝も聖書に聴いていきましょう。