「そこで急いで行って、彼の弟子たちに言え。『彼は死人たちの中から起こされた。そして見よ、彼はあなたたちより先にガリラヤに行く。そこでこそ、あなたたちは彼に出会うであろう』と。」(岩波訳:マタイ28・7)。
岩波訳は、新共同訳が「復活された」と訳している言葉を「起こされた」と訳しています。「目を覚まさせる/起こす」という動詞の受動態が使われているからです。死んだ主イエスが自分でムクッと「起きた」のではない。神がイエスを「起こされた」。これがキリストの復活です。そして「起こされたイエス」は、弟子たちがかつて一緒に活動したガリラヤに先に行っている。そこで君たちは主イエスと出会う。これが聖書の約束です。
ルワンダでは毎年四月、一九九四年に起こった大虐殺を記憶する追悼週間がもたれますが、昨年のピアス大学での式典の様子を佐々木和之さんがこう報告しています。「ピースクラブの学生たちが練習を重ねた劇を披露しました。ジェノサイドにより両親と兄弟姉妹を失い孤児となった少女が、絶望の叫びをあげる中で神の声を聴き、失いかけていた信仰を回復し、『イエスが私の重荷を取り去られた。私に平和を与え、暗闇の中から救い出してくださった』と告白するに至る劇でした。その少女の信仰告白を歌いあげながら、多くの出演者が泣いていました。劇の後半で登場したイエスが、その少女が背負ってきた苦しみ、悲しみ、貧しさ、絶望を振り払うシーンでは、何人もの観客が涙をぬぐっていました。演じる者も観る者も、自らの歩みをその少女の人生に重ねあわせていたのでした。」(ウブムエ31号)。
復活の主は今も世界のあらゆる命の現場で、人々を暗闇の中から希望の光に導き出す働きを続けておられるのです。