主イエスが遣された道しるべ    加藤 誠

Gさんは毎週月曜の午後、デンバー市内の教会でホームレスの人々のための給食サービスで皿洗いの奉仕をしています。しばらく前、ある人から質問を受けました。「ちょっと尋ねるけど、おまえさんは宝くじに当たってもこの奉仕を続けるかい?」。Gさんは一瞬考えて「もちろん!」と答えました。なぜなら彼にとってその奉仕は、主イエスがさまざまな困難を抱えた人たちと一緒に生きられた、その姿や愛を身近に感じる大切な場所であり「自分から選んだもの」だから。神は決して「こうしなければならない!」と私たちに「善行」を強制することはしない。ただ、私たちが「自分は神から実にたくさんのものをいただいている」と気づいた時に、その感謝をあらわすチャンスを毎日いろいろな場面で用意してくださっている。主イエスからもらう歓び、感謝、勇気、励ましは、わたしの中で「宝くじにあたった」と同じ「宝もの」。わたしにとってこの奉仕は主イエスと共に歩む大切な「道しるべ」なのだ…。

 

教会につながることで、わたしたちはさまざまな「奉仕」の場面をいただきます。が、もし「強制されている」と感じるなら止めた方がいい。「義務感だけ」で担うなら、徒労を覚えることが多いからです。もし「主イエスと一緒に何かを担わせてもらいたい」という願いが与えられたなら、「主よ、用いてください」とまず祈りましょう。そして「その奉仕を担う信仰を与えてください」と繰り返し祈り続けましょう。必ずその祈りは応えられ「奉仕」が大切な「宝もの」と「道しるべ」になるでしょう。「奉仕」は「善行」とは違います。人からの評価を求める「自己実現の場」でもない。イエス・キリストを身近に感じながら、他には代えがたい、歓び、感謝、勇気、励ましを受けていく場面なのです。