主は御言葉を遣わして   加藤 誠

教会の暦では今日からアドヴェント(待降節)に入ります。約二千年前、世界の片隅の家畜小屋に生まれた赤ん坊に神の救いを聴き取るため、他のことを後に回して聖書に集中する。年末に向かって世の中が慌ただしく忙しくなる時にあえて祈りに静かに集中する。その信仰を整えられたいと願います。
神が貧しさの中に生まれた赤ん坊に託した救いとはどのような救いだったのでしょうか。旧約聖書の時代、人々は主なる神が歴史に介入してイスラエル民族に救いをもたらし、植民地支配から解放してくれることを望み見ました。しかし、イエスという男に神の決定的メッセージを聴いた人々は、イスラエル民族だけでなくすべての民族が神の愛のもとに招かれ、その深い赦しの中に新しい命を得、お互いの関係を新たにされていく道を見たのでした。

今年のアドヴェントは詩編に聴いていきます。詩編107編は人生で直面するさまざまな苦難において、「主に助けを求めて叫び、慈しみを見出した」経験が幾つも折り重なるようにつづられている賛美歌です。
「主は御言葉を遣わして彼らを癒し、破滅から彼らを救い出された」(20節)。この人は神の言葉こそが人を癒し、生かすことを知っています。「彼らは波が静まったので喜び祝い、望みの港に導かれていった」(30節)。この人は、あまりに厳しい苦難に「魂が溶ける」(26節)思いを味わう中、神が導く「望みの港」を見出したと告白します。
世界がさまざまな課題を抱えて混乱し、私たちの国も歴史の岐路に立たされている時代にあって、私たちを真に癒し、望みの港に導く道はどこにあるのかを聖書に静かに聴きたいのです。