「信徒の働き、牧師の働き」の学びを通して、一人ひとりに与えられた祈りや決意を、企画推進のメンバーが早速カラーマジックで模造紙に書き出し、教会学校事務室前に貼りだしてくれました。集められたカード(百二十枚以上!)の言葉もすべてワープロで打ち込まれて一覧になりました。そこに記された言葉を読むと、児童科の子どもたちも中学生・高校生も、しっかり自分で考えて応答している様子が伝わってきてうれしくなります。まさにこのプロセスが「教会を『共に』形づくる」ことなのだと感じます。ぜひ他のメンバーがどんな応答をしているか、その言葉に触れてみてください。
先週の就任式プロジェクトの会合で今回の学びの分かち合いをした際、あるメンバーがこう語っていました。「これまでは、教会の行事のための会議にエネルギーを注ぎ、主日の教会の奉仕で『やれやれ』と終わってしまっている自分がいた。でも、主日礼拝からそれぞれ派遣されていく家庭、職場、地域が大井教会の宣教の現場であること、一人ひとりがそこで御言葉と向かい合い、主イエスを証する信仰が求められていることを今回の学びで強く示された」と。
そう、一人ひとりが大切な、派遣されていく「点」(拠点)なのです。一人が担う「点」は小さな祈りであり、小さな働きかもしれない。病気や身体の弱り、家族の課題と向かい合っていると、自分の存在がとても小さく思えることがある。しかし、そこは主が共に働いてくださる場所であり、主があなたにしかできない祈りと働きを託しておられる大切な「点」なのです。
その際、「人からの誉れ」(ヨハネ5・41)を求めると、祈りと働きが歪みます。いわゆる「律法主義」(=成果主義)の罠(わな)に陥ってしまうのです。ただ「神からの誉れ」(同5・44)を祈り求め、ただ神に栄光を帰していかれた主イエスの足跡に繰り返し学んでいきたいのです。