一人ひとりが「教会」 加藤 誠

ちょうど一三〇年前の一八八九年一一月五日、アメリカの南部バプテスト連盟から派遣されたマッコーラム、ブランソンの二組の宣教師夫妻が小雨交じりの横浜港に上陸し伝道が始まりました。この頃の日本は、大日本帝国憲法と教育勅語が次々に発布され、国全体で天皇を頂点とする皇国教育が強化された時期であり、キリスト教への風当たりは相当なものがあったようです。

 

記録によると、九州で最初に誕生した門司バプテスト教会の活動は雑貨屋を営む一信徒の自宅の座敷で始まりました。夕方に集会があると、晩酌を終えた石炭積込みの沖仲士の親分が「こらっ!ヤソッ!」(ヤソはキリスト教の蔑称)と乗り込んできて座敷に大の字になって妨害が始まる。教会の提灯は破られ、窓から石が投げ込まれるのは日常茶飯事のこと。この家は他教派の牧師もよく宿泊したことから、近所から「ヤソのホテル」とあだ名されたのだそうです。つまり、日本でのバプテストの伝道は、クリスチャンになった信徒一人ひとりが自分と自分の家を地域に「ひらいて」始まったのであり、信徒一人ひとりが「教会」の看板を背負って人々の間で御言葉を伝えたのでした。

 

さて、私たちはどうでしょうか。キリストの福音を受けた者として人々の間でどのように自分を「ひらき」、「教会」を背負っているでしょうか。

「教会」は礼拝堂のある建物であって、そこから一歩外に出たら人々の間に姿を消し、クリスチャンであるかどうか分からない「私」はいないでしょうか。「私たち一人ひとり」が「教会」であり、キリストの福音を生きる「キリストのからだ」として建てられているのです。