キリスト者に与えられている約束と責任   加藤 誠

G・ハイネマンは1969年から五年間、西ドイツ大統領を務めたキリスト者です。彼の言葉は、キリスト者に与えられている約束と責任を的確にあらわしており、「戦後七十年」を迎えたわたしたちに熱く厳しく迫ってきます。

「国家を愛するとはどういうことか?」という質問に、ハイネマンはこう答えました。「わたしは妻を愛しています。しかし国家は愛していません。国家に対する市民の関係は、故郷や自然や芸術を愛するような非合理的感情で支配されてはなりません。感情ではなく、理性が我々と国家との結びつきを規定すべきなのです。国家は崇高な存在ではありません。むしろ国家は、社会正義を実現し、正義と平和を守るために支配権を備えたやむを得ない秩序なのです。我々の憲法によれば、すべて国家権力は国民に由来します。ですから、我々は、単に政治の客体ではなく、政治の担い手です。国家を愛することが重要ではなく、我々の国家の民主主義的な憲法秩序を守ることが大切なのです。真の愛国者とは誰でしょうか。この国でどんなことが起こっても、絶対的忠誠心でこの国を肯定する自己満足者のことでしょうか。それとも、この国の中に自由と正義と人間性を普及するために、断然、現状に対する批判者とならざるを得ない人たちのことでしょうか。信仰者は政治に対して口を挟むべきではない、関係もない、出しゃばるな、という批判に対して、この世がたとえ過ぎ去るものであっても、この世がある限り、我々はそこで働かねばなりません。この世を楽園にするという意味ではなく、この世に秩序を与え、人間生活を改善していくために、とりわけ飢餓と戦争に対抗して。そして、それはまさに最後の日にはすべての支配者に取り代わって支配したもう世界の唯一の主と我々が結びついているからなのです。」