教会の使命は、特別伝道集会を「開くこと」ではありません。教会の使命は、福音を宣べ伝えることです。では、私たちにとって福音を宣べ伝えるとはどんなことでしょうか。なぜ、宣べ伝えなければならないと言われているか。そもそも福音とは実際的になんなのか。こんな問いが私の体を駆け回りました。
私たちが頂いている聖書は、生きている命の言葉です。「行って境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(使徒行伝録5章20節)。神が何のために人間を創り、イエスをこの世に送り、十字架にかけて復活させたのか。そして、「あなたは行って、それを宣べ伝えなさい」と言うのでしょうか。
今回「方向転換―神の恵みによって―」というタイトルを金丸先生から頂きました。恵みは出エジプトに出てくる、神様が私たちを養うために天から降らせてくれた「マナ」のように、懐にとっておこうとすると腐ります。あるいは死海のように入口はあるのに出口がないと、塩分が濃く、生き物の住めない湖になってしまいます。それに対し、ガリラヤ湖は、神の恵みを取り込み、育み、外に流していくことで多くの命を養っていくように、神から恵みを受け取る器は、その恵みを誰かに流していく時に、豊かに養われるのです。
神が大井の地に望んでおられることが実現されていくためには、恵みを流す「管」が必要です。善き「管」になる準備はいかがでしょうか。外を磨く必要はありません。内側をピカピカに磨いて恵みの通りを良くしましょう。そしてどうか、独りで磨こうと思わないでください。信仰と同じで独りでは磨けないのがこの「管」の特徴です。神の御心が大井教会に成るように!「何が主に喜ばれるかを吟味」(エフェソ5・10)し、教会全体が恵みを流す準備が整えられるよう祈って歩みましょう。