その声を聞いた者は生きる 加藤 誠

 「信徒の働き、牧師の働き」と題して、二回の合同分級がもたれました。そこで確認された要点を次のようにまとめてみたいと思います。
①今から約四百年前、英国に誕生した最初期のバプテストの人々は、宣教の働きを牧師や一部のリーダーに任せてしまうのではなく、一人ひとりが「宣教する弟子」としての召しを深く自覚して、教会形成に参与していったこと。
②牧師を立てる際の「按手」は、「お任せ」ではなく、「共に宣教の使命を担い、労苦を分かち合う」自覚を持って、教会は手を置くこと。
③教会も牧師も、主の先立ちと導き、執り成しなしに宣教の働きを一歩たりとも進められないゆえに、聖霊の注ぎと導きを切に祈ってすべてを始めること。
④大井教会が牧師を立てるのは、大井教会だけの出来事ではなく、協力伝道を担う連盟加盟諸教会の祈りと交わりに支えられた出来事であること。

特に「信徒の働き」の学びでは二人の姉妹の「等身大」の証を聞きました。毎日看護師として出会う患者さん一人ひとりとの関わりの中に主イエスの伴いを祈ること。十分の一献金を祈って取り組むこと。礼拝で御言葉をもらうことがその原動力であること。つまり、教会員一人ひとりが礼拝から派遣される場所が、大井教会の現場であることを聞きました。「いま病気を抱えているから…、家族の介護や子育てで精いっぱいだから…」という時にも、その場所で主の御言葉が聞かれ、その場所が主の御言葉で支えられ、その場所が主の命を分かち合う場所になっているなら、そこは大井教会の宣教の現場なのです。
「その声を聞いた者は生きる」(ヨハネ5・25)。死から命に移される出来事が、今日、あなたの現場で、大井教会の現場で起こされるよう祈り合っていきましょう。そのために礼拝と祈祷会に集い合い、励まし合っていきましょう。