この命は現れた!   加藤 誠

二日間の特別集会において、調みくに牧師を通し届けられたメッセージを感謝します。調みくに牧師はご自身が確かに今生かされている神の愛をまっすぐに率直に語ってくださいました。彼女の笑顔、真剣なまなざし、いや、表情だけでなくその存在のすべてから神の愛があふれ出ているように感じたのはわたしだけではなかったと思います。けれど、人間というのは面白いですね。同じメッセージを聴いても、こんなに違うのかと思うほど、実にいろいろな反応の仕方があり、響き方があるのです。一人ひとりの「福音」や「救い」や「キリスト」のとらえ方はなんと違うことか。その人が置かれている「心や体の状態」によっても響き方が違うことでしょう。だからこそ、実に多様なそれぞれが「教会を形づくるひとり」として必要なのです。

また、ある方はこう語っていました。「語られた言葉すべてが身にしみた。だから一言も文字に書けなかった」と。感想を求められても、簡単にはあらわせない。深い感動や問いかけほど、その人の中でじわじわと「命のことば」になっていく時間が必要なのでしょう。わたしたちがそれぞれ異なる肉体や心をもっているということはそういうことであり、神は一人ひとりの中に「命のことば」が受肉していく「時」を大切に待ってくださる方です。

 

「この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」(第一ヨハネ1・2)。イエス・キリストは「命」として、わたしたちの間を生きてくださいました。ヨハネはその感動をどう言葉にできるのか、格闘を重ねながら「ことば」にしました。今朝、その「命のことば」に聴いていきましょう。