ここに注がれている祈り   加藤 誠

バプテスト教会は、教会員一人ひとりの祈りと献身によって形づくられていきます。「大井バプテスト教会」を主語にするとき、そこから「わたし」を除外することはできません。

主日に新来者や来会者、子どもたちや教会員を気持ちよく迎えるために、見えないところでどれだけの奉仕が捧げられていることでしょうか。掃除の行き届いた床やトイレ、スリッパ準備や礼拝のための椅子並べ、園庭の落ち葉掃きに自転車整理、教会学校の各クラスの出席簿の整え、奏楽の練習…等々、書き出したらきりがありません。が、いずれも本来は「わたし」が担うべき働きを、「自分が担当します!」と手を上げた教会員が担ってくれているのです。もちろんみんなが同じ奉仕を一律に担う必要はないし、それぞれの事情で奉仕できないことはお互いさま。けれども「他の誰かがやってくれているから、わたしは関係ない…」ではなく、「誰が担ってくれているんだろう?」と関心を寄せ、奉仕者の姿は見えなくても、その奉仕を覚えて感謝し祈っていく。そのように感謝の祈りを互いに交わし合うわたしたちでありたいと思います。

 

けれども、それらすべての奉仕に先だって「大井バプテスト教会」が使命に忠実であるために、ご自身をささげきられた方がいることを、ヨハネ17章の「イエスの祈り」は指し示しています。「真理によって、彼らを聖なる者としてください。…彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも真理によってささげられた者となるためです」(17・17、19)とは、何と重い祈りでしょうか。今日、「大井バプテスト教会」を根底から支える祈りと献身がここに注がれていることを、何より第一に心に刻み続けたいのです。