てんかんの発作に苦しむ男の子を癒すことのできなかった弟子たちに、主イエスは厳しく諭します。「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」(マタイ17・20)。ここで主イエスの言う「からし種一粒の信仰」とは、どのような信仰なのでしょうか。
「からし種」は、0.3㎜のシャープペンシルの芯の先で紙に点を打ったよりも小さいくらいの、ほんとうに微細な種です。しかし、その種が地に落ちると二メートルにも三メートルにも成長し、その枝に空の鳥が巣を作るほどになるのだそうです。主イエスは、「天の国」(神の愛と憐れみ)はその「からし種」に似ていると言われました(マタイ13・31)。
「からし種一粒の信仰」とは、自分の非力さを知り、自分一人では何にもできないことを知っている信仰です。しかし、その小ささ、弱さの中にこそ豊かに働きたもう神の憐れみを信頼する信仰です。
今、厳しい病と向かい合い、一日一日を主イエスの信仰に支えられて生きておられるHさんは言います。「こんな難だらけの自分がゆるされ、愛され、生かされている。感謝、感謝でいっぱい。おつりがたくさんあふれて、このおつりをどう使ったらいいのでしょう」。「大井教会が、御子の誕生、十字架と復活を宣べ伝える教会として立て続けられますように。新礼拝堂建築のための三つの祈り、御心がなるように、わたしの最善をささげられるように、神さまの御業を体験させてくださいと、毎日、祈っています」。ベッドの上のHさんに「からし種一粒の信仰」の輝きがあふれているのを見るのです。