あなたはどこにいるのか?   加藤 誠

―教会のミッション(使命と働き)①礼拝―

創世記のはじめから聖書に一貫して響いている呼びかけがあります。それは「あなたはどこにいるのか?」という問いかけです。わたしたち人間との交わりを求めて、わたしたちを捜し続ける神の心がこの言葉に込められています。

人間は「神のかたち」として創造されました。神のパートナーとして、神と対話をしながら生きる者として。しかし、アダムとエバは「自分の思い通り、好きなように生きたい」と、神に背を向け、神の前から姿を隠しました。もちろん、神は彼らがどこに隠れているのかをご存知です。が、神は待つのです。彼らが自分の意志で神の前に出てくるのを。そして呼びかけます。「さぁ、わたしの命の言葉を食べて生きなさい。この世界のために一緒に働こうではないか」。神を礼拝して生きる。神が語られる言葉を食べて一日を始めていく。ここにわたしたちを豊かに生かす命の源があります。

ところが、人間は神と対話することが面倒くさい。自分の欲望のままに生きたい。その結果、自分と周囲との関係や自然との関係において、さまざまな破たんや歪み、傷つけ合いを引き起こしているのが実情ではないでしょうか。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです」(第一ヨハネ4・9)。主イエスは、当時の社会が作りだす歪みによってさまざまな傷を負い痛んでいる者たちを「あなたは大切な神の子だ」と、神の愛のもとに連れ戻されました。自分の思いを通そうとしていがみ合い、バラバラに生きている者たちを、神の祈りに結び合わせ、神を真ん中に、神を第一にして「共に生きよう」と祈る者に変えてくださいました。この主イエスを通して神を礼拝する。ここに教会の命の源泉があります。