「五人の信仰」 加藤 誠

相模原殺傷事件の裁判で被害者家族がU被告に向かって語る言葉に心を打たれる。そこには主イエスが大切にされた「命の言」に重なる響きがある。

「娘に障がいのこと、自閉症のこと、てんかんのこと、いろいろ教えてもらいました。わたしの娘であり、先生でもあります。優しい気持ちで人と接することができるようになりました。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。(略)事件後、我が家はめちゃくちゃになりました。自分の命よりも大切な人を失ったショックで私たち家族は、それまで当たり前にしてきたことが何一つできなくなりました。私たち家族、娘を愛してくれた周りの人たちは皆、あなたに殺されたのです。未来を奪われたのです。娘を返してください。他人が奪っていい命など一つもないということを伝えます。」

 相模原事件のU被告に何度か接見してきた奥田知志牧師は、この裁判は私たち社会を問うていると語る。例えば、被告が障がい者の殺害計画を周囲に話した時、「半分くらいが笑ったので同意を得られたと思った」と述べたが、「彼の強気の裏には世の中の本音みたいなものを自分が代弁していると思い込んでいることがある。命とは何か、生きるとは何か、生産性とは何か、そのことをきちんと議論してこなかった日本社会のツケでもある。『障がい者を殺す』と言ったときに笑ってしまう現実を『ちょっと待ってくれ』と立ち止まって本当の意味で議論しないと何も変わらないと思う」(神奈川新聞より)。

マルコ二章「中風の人の癒し」で主イエスが目をとめられたのは、人々が無意識のうちにつくり出しているさまざまな壁や偏見を壊し、神の恵みを分かち合おうとする「五人の信仰」だった。主イエスを信頼する「信仰」は、私たちを具体的な行動に突き動かす力をもっているのだ。