「わたし」に託された働き   加藤 誠

インドのコルコタで「死を待つ人々の家」で働くマザー・テレサのもとにアメリカからやってきた一人の女性がこう言ったそうです。「あなたのしていることはすごすぎます。わたしには何もできません」。するとマザーはにっこり笑って答えました。「でも、わたしにできないことが、あなたにはできますよ」と。マザーにできなくて、その女性にできることとはいったい何でしょうか。

 

先週の土日、横浜戸塚バプテスト教会のオープンチャーチ(特伝)に招かれて奉仕をさせていただきましたが、そこで二人の大学生と出会いました。Aさんは福島の地元で中学まで熱心に教会に通っていたものの、高校が進学校だったためすっかり足が遠のいてしまったそうです。大学入学後、キャンパスを歩いているとチャペルから聞こえてきた讃美歌に思わず涙がこぼれて、「そうだ、教会の礼拝に戻ろう」と、近所の教会を探してバプテスマに導かれたのでした。全盲のBさんは富山県出身。一時、身体の調子を崩して休学した後で「教会に行きたい」という思いが起こされ、大学から教会を紹介してもらって通うようになったとのこと。家族にクリスチャンがいないので、できるだけ早く理解してもらってバプテスマを受けたいと語っていました。説教を真剣に受け止め、「自分だったら、イエスさまをどんなふうに紹介できるかなと考えました」とまっすぐ応えてくれた姿に大きな励ましをもらいました。

神から与えられた人生はそれぞれ。環境も育ちも、聖書との出会い方もみんな違う。けれど、「キリストを紹介する」ことはすべてのクリスチャンに託された大切な働きです。特に「言葉だけでなく行動で」、「ごく身近な人たちとの日常の関わりに、キリストから受けた愛をあらわしていく」ことは。