先週一四日、「ルワンダの虐殺を憶える受難週夕礼拝」で、ルワンダ留学生のイシシャツェ・エリー・ロドリグさんは次のように祈られました(要旨)。
「平和の源であり、私たちに和解をもたらし、一致に導いてくださる神さま。あなたは『隣人と平和に暮らしなさい』、『敵を愛しなさい』と命じられました。しかし二十五年前の虐殺において、私たちは愛することに破れ、平和をつくりだすことに失敗しました。主イエスがされたように隣人のために死ぬことができず、逆に隣人たちを殺しました。この虐殺を憶える中で、深い恥と恐れを覚えます。あなたの前に立つ私たちをどうかゆるしてください。私たちがあなたの目にどれだけ罪深いものであるか、昼も夜もいたたまれないほどの悔い改めを教えてください。虐殺を生き延びた者の心を癒してください。大切な家族を失った者に伴い、奪われ失ったものを埋めてください。加害者にあなたの正義を示し、彼らが自らの罪を認めることができますように。ルワンダだけでなくアフリカ諸国、そして世界のために祈ります。あなたの平和がわたしたちの上にあり、あなたの癒しが今日も、これからもありますように。アーメン。」
復活の出来事を信じられず混乱している弟子たちの真ん中に主イエスは立つとこう言われました。「あなたがたに平和があるように」(ルカ24・36)。キリストの復活とは何か。それは「神の平和」の宣言であり、招きです。愛することに破れ、隣人のために自分を差し出すどころか、エゴむき出しの行動に走り、平和をつくり出せない私たちの真ん中に立つ復活のキリスト。この方と一緒に囲む食卓を通して、弟子たちは「この世が与えるのとは違う平和」(ヨハネ14・27)を体験し、「平和を祈り、つくりだす働き」に立てられていったのです。