先週の主の日は、北九州市のシオン山教会創立百周年記念礼拝で説教奉仕をさせていただいた。シオン山教会はちょうど百年前の一九二二年、西南女学院創設と同時に、女学院職員と学生の教会として誕生した教会である。
一九二二年(大正一一年)とはどのような時代だったのか。『日本バプテスト連盟史(一八九八~一九五九年)』によると、その二年前の一九二〇年(大正九年)に「田中牧師遭難事件」が起こっている。
仏教系の国粋団体が北九州のキリスト教集会所を次々に破壊し、市内の電柱には「教会に行く者の家は焼き払う」との脅迫が貼り付けられたという。そして「売春」目的で働かされていた女性の救出に奔走していた若松教会の田中種助牧師を神社の境内に呼び出すと「国賊」「売国奴」と罵り、唾を吐きかけ、キリストを語る田中牧師の右眼にステッキを突き刺し重傷を負わせた事件だったという。
やがて日本軍が中国大陸に侵略して排外主義が高まると、キリスト教撲滅運動となり、西南女学院も「聖書を止め、キリスト教の標札を降ろせ」と攻撃されて、「耶蘇の学校が見晴らしの良い丘の上に建っているのは許しがたい」と校舎が軍に接収されたという。しかしそのような嵐の時代に「御言葉を語り続ける使命」を担ったのがシオン山教会であった。
聖書の御言葉とは神の愛であり、イエス・キリストそのものである。神は御言葉を語るのに「時」を選ばない。神においては「この人には御言葉を語っても無駄だから止めておこう」とか、「今は時期が悪いから止めておこう」ということはない。人間の目にどのような「時」であろうと、教会は「神の御言葉を語り続ける使命」に立てられていることを覚えたい。