先週の第二礼拝で説教に立たれた金丸英子先生(西南学院大学神学部)は、その前日の研修会(東京地方連合壮年会主催)で、十七世紀の英国に誕生したバプテストの群れに満ちていた「相互牧会」の熱いスピリットを紹介してくださいました。新たに信仰告白をして教会に加わる者は「この世にあって神を愛し誠実に従う約束と同時に、教会の友を愛し誠実に関わる約束をした」と。
また講演後の茶話会で「これを失ったらバプテストではなくなるものは何だと思いますか?」という質問に対し、金丸先生はこう応えられました。「牧師も信徒の一人という立ち位置。牧師は教団から遣わされた指導者という立ち位置をとる教職制の教会とそこが大きく違う。もう一つは自由な話し合い。異論が言えなくなったらバプテストではなくなる」と。
バプテスト教会と他教派の教会とどこが違うのか。わたしも金丸先生の意見に同意しつつ「一人ひとりの自由の尊重と祈りの責任の自覚」と言いたいと思います。「自分だけでなく他者の自由や主体性を尊重する」ためには「聖霊の導きを求める祈り」が不可欠であり、「聖霊による愛の注ぎを祈り求めずしてバプテスト教会は建てられない」と思うのです。
「上よりの愛」を求めていきましょう。バプテスト教会らしく一人ひとりが主から与えられた賜物を生かしあう教会として建てられていくために。
その際のヒントとして今朝は「互いに重荷を担いなさい」と「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(ガラテヤ6・2、5)と使徒パウロが語っている「互いに」と「めいめい」の緊張関係について聴いていきましょう。