今年の受難節はH・ナウエンの『イエスの示す道』(受難節の黙想)を手に過ごしました。カトリック神父のナウエンはハーバード大学の教授でしたが、五四歳の時にラルシュ共同体(障がい者のグループホーム)に移り住み、人生最後の十年をラルシュの人々と歩みました(ラルシュは「箱舟」の意味)。
イースターの日にナウエンは次のようなことを書いています(抄訳)。
「復活祭を祝う礼拝で人びとが賛美をささげた時、ネイサンがフィリップを抱きかかえるのが見えました。フィリップの身体はひどくゆがんでいます。彼は話すこと、歩くこと、服を着ること、食べることを一人でできず、誰かの助けが必要です。ネイサンの隣りで静かに寝ていたフィリップが、人びとの賛美を聞いてうめき始めたのです。体の奥底から絞り出すような声で。そのフィリップをネイサンが抱きかかえるのを見た時、わたしは復活祭で人々が何をほめたたえているのかに突然気づかされました。主に抱きかかえられたフィリップの身体はよみがえりの新しい命を生きることを約束されているのだと。彼の新しい身体にも復活した主イエスと同じように苦しみのしるしが残ったままかもしれない。しかし彼は神の子羊の祭壇の周りで喜び歌うひとりに加えられる。そしてイースターを喜び祝うことは、フィリップの命を支える日々の介助の働きをも祝福すること。彼の身体を洗い、食事を与え、車椅子を押したり、抱きかかえたり、キスしたり、優しくなでたり…。これらは神の国で障がいをもつ人が新しい命を与えられる時に、神の祝福を受ける大切な働きなのです。」
復活の希望が照らし出すものについて今朝も聖書に聴きたいのです。