喜びをもって スチュワードシップの学び②  加藤 誠

先週一九日の夕方に開かれた「音楽会な・きもちパート2」では小さな子どもから齢を重ねた人生の大先輩たちの、自分の声・楽器・手話による実にバラエティ豊かな賛美が礼拝堂に響きました。プロではない素人が懸命に練習を積み、ある人はソロで、ある人々はチームで心を合わせて賛美をささげる姿はそれぞれ心揺さぶるものがあり、時に声援が、時に拍手が自然に沸き起こって笑顔あふれる「音楽会な・きもち」となりました。

 その時の一人ひとりの姿を思い起こす時、私たちがささげうる神さまへの「最高の奉仕」は、各々が生かされている場所で神さまに精一杯の賛美をささげていくことに他ならないと示されます。キリストを通して与えられる恵み(安らぎ、勇気や希望など)を感謝して受け取り、大切にその喜びをあらわしていく。「奉仕する」というと「To Do」(何をするのか)を問題にしがちですが、それ以前に「To Be」(神さまの前にどうあるのか)のほうがずっと大切なのです。

 ルカ一七章で主イエスによって重い皮膚病を癒された十人のうち大声で神を賛美しながら戻って来た一人のサマリア人を、主イエスは大いに喜ばれました。使徒言行録八章でフィリポによってバプテスマを受けたエチオピアの宦官は「喜びにあふれて旅を続けた」と聖書は記しています。彼の人生は主イエスと「共に沈められ起こされて」まったく新たに変えられました。彼がそれまで手にしていた地位・名誉・富をはるかに凌駕する喜びを知ったからです。

 各々の暮らしの中で、また教会がささげる働きの中で、この喜びを賛美しあらわしていけるならどんなに素敵なことでしょうか。