キリストのもの   加藤 誠

 「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」(使徒11・26)。

 

 エルサレムに起こった迫害で「散らされた人々」とは、殉教したステファノと同じように「我々はもはやユダヤ教の律法に縛られる必要がない」と考えていた人々であり、主イエスへの信仰と律法遵守を両立させていたエルサレム教会から見ると「過激派」「非主流派」の人々でした。その彼らが風に吹き飛ばされる種のように、シリア州のアンティオキアまで福音を持ち運んでいきます。アンティオキアはローマ帝国第三の帝都と呼ばれ、壮麗な建築物を多く持つ大商業都市でしたが、その町で大勢の異邦人たちが教会に加わり、「キリスト者」と呼ばれるようになります。もはや「ユダヤ教のイエス一派」ではなく、新しい名、新しい自己理解~「キリストのもの」~を獲得したのでした。

 

 もう一つ、注目すべき出来事が起こります。「主流派」のエルサレム教会がその扱いに困っていた「迫害者サウロ」をバルナバがわざわざ捜しに行き、アンティオキアの教会に連れてくると、一年後にこの二人が異邦人伝道へと派遣されていくのです。エルサレム迫害の首謀者サウロが、その迫害によって生まれたアンティオキアの教会から伝道者として派遣されていくとは、なんと不思議なことか。誰がそのような筋書きを描きえたでしょうか。聖書は「主がこの人々を助けたので」(使徒11・21)と説明します。人間の知恵ではなく主なる神がその息吹なる聖霊をもって、人と人との間に不思議を起こしていかれるのです。「キリストのもの」としか自分を表現できない人々がここに生まれていきます。