このことを信じるか    加藤 誠

二日間の特別講演会。準備段階から教会員の皆さんと祈りを一つずつ積み重ねていくプロセスを共にさせていただき、わたし自身が一番大きな恵みをいただいたのではないかと感謝しています。

直前祈祷会では週末の台風直撃が心配される中、大谷恵護先生が「やもめと裁判官のたとえ」(ルカ18・1~8)からメッセージをくださいました。「祈ることに怠慢になるな、曖昧になるな、ぜったいにさぼるな。ぼんやり、不鮮明な祈りをするな。あきらめて、降伏するな」と弟子たちに教えられた主イエスの思いを示しながら、「こういうピンチの時こそ、祈ることの恵みを大井教会は経験してきた」と実例をいくつも紹介して励ましてくださいました。人間の祈りで台風が進路を変えることはないとしても、「どんな天候であっても、主なる神は最善の恵みを見せてくださる!」との確信をそこに出席したみんながいただいたのでした。

 

信仰は、理性で聖書を理解することではありません。心に響いたイエス・キリストの姿を心の真ん中に受けていくことです。とらわれを捨てて、ありのままの姿で神の前に座り、「父なる神さま」と祈り始めることです。心に示された祈りを何か一つ実践していくことです。もちろん、信じて一歩踏み出したうえで、自らの信仰や教会のありようを常に理性で吟味することは大切です。信仰は視野の狭い「狂信」に陥ることではないからです。

しかし 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。・・・このことを信じるか」(ヨハネ福音書11・25~26〉という招きに応えて、主イエスが生きられた真理と希望の世界に新しい一歩を踏み出していく。この一歩から信仰は始まるのです。