巻頭言「見つめる先にあったもの 広木 愛」

 イエスさまの復活を今年ほど待ち望む年はないのではないかと思っています。コロナ、オリンピック、ミャンマーでの国軍による一般市民への弾圧など、いったいこれからどうなっていくのか、全く先が見えない現実の中で、こうしてイースターを共に迎えられることを神さまに感謝しています。

これまで続けてマタイによる福音書からメッセージを私たちは共に分かち合っていきました。受難週も、マタイと詩編を共に読んでいきました。そこで私の心に留まったのは、聖書の中に描かれているイエスさまを見つめる人たちの姿です。

 イエスさまが十字架で殺された姿を見つめた人たちは54節から読んでみると、百人隊長、犯罪人とされたイエスさまを見張っていた人、またマグダラのマリアやヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母をはじめ大勢の婦人たち、そして、イエスさまの遺体を受け取ったアリマタヤ出身のヨセフという人です。

 このヨセフは、勇気をだして、ピラトに直談判にいったと聖書にあります。いくらイエスさまの弟子だからといって、ピラトに直接交渉すれば、犯罪人イエスの弟子だ!とばれて、ヨセフの命も危うくなるにもかかわらず、それでも、イエスさまの亡骸を受け取ることを選び取ったということです。

 彼女たち、彼らの行動をみるとき、わたしたちが誰と連帯するのかを問われているのだなぁと思わされます。

 先の見えない新年度です。今見えているものは、不安・・・かもしれませんが、その先にあるものは、イエスさまがこのイースターにもたらしてくださった希望だろうと思います。そのことを覚えて、このイースターから始まる新しい年度を過ごしていきたいと願っています。