巻頭言「見えないもの 広木 愛」

 今年の二月一一日の信教の自由を守る日を前にオリンピック開催に関していろいろな言葉が飛び交っていました。目に見えるイベントと目に見えない潜在的に持っている価値観が可視化されてきたのかなぁと思わされます。わたしたちの目に見えているものの裏側にあるものをしっかりと見つめることが大切だと示されます。

 某栄養補助食品の広告にこのように書かれてありました。

「見えないものと戦った年は、見えないものに支えられた一年だと思う」。

最初、読み間違えかと思いました。栄養補助食品ですから、目に見えるものに支えられると言いたかったのかなと思い何度も読み返してみても、見えないものに支えられた一年と書いていました。目に見えないもの、目に見えるもの。それは人によって答えが違うのでしょう。某栄養補助食品は、目に見えない栄養ということがいいたかったのかもしれません。でも、その広告を見た時に、今日の聖書の箇所を思い出しました。

 福音書のイエスさまを見ていると、質問をされてもかわしてみたり答えてみたり、逆に質問で返したりで、今日の聖書の箇所には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とはっきりと断言されています。算数の方程式のように、白黒はっきりしていることがなんとわかりやすいことかと思わされます。

 見えないものと戦うということは、福音書を通してイエスさまが戦おうとしていた差別やレッテルに気づき、神様の言葉に従って生きていくこと。そして見えないものに支えられることは、聖書を通して気づかされる神様の愛と導きに引き続き支えられることなのだろうと思っています。