巻頭言「分かち合うもの 広木 愛」

 オンライン礼拝だけの時、教会に集まれなかった方々の祈りが、今日のパウロの祈りと共鳴してきこえてきました。オンライン礼拝のみの間、みなさんが礼拝の時間、きっと「大井教会の礼拝堂で見えていたあの人、あの人、名前は知らないけど、毎週あの辺に見えるあの人・・・のことを思い起こしながら、何とかして、いつかは神様の時、御心によって、あなたがたのところへ行ける機会があるように」という祈りが積み重なって、ここに集っていることができたんだろうと思います。でも、この分散礼拝が始まって、バリアフリーであるはずの礼拝堂に、バリアがあることに気が付かされました。

 バリアフリーといいながらも、便利になって逆に、バリアができた部分も少なからずあるという気づきに導かれたのは、みなさんと礼拝をこの礼拝堂で一緒にできたからなんです。

 例年であれば、今日子ども祝福式の礼拝です。嬰児科のみなさんが一緒に礼拝に集ってくれる日です。きっと嬰児科のみなさんは、よし、今日は大人を励ましてやろう!力を分けてあけよう!なんて思ってはしていないと思います。子どもたちが礼拝堂にきて賛美をすると、みんな笑顔になって、元気をもらったね~って感じます。子どもたちのパワーは大きいです。でも、きっと、一緒に礼拝をする私たちは、だれでも、だれかを励まし、だれかをもうちょっと頑張ろうって一歩を踏み出す力を与えているのだろうと思います。礼拝に集うことが、だれかの励ましになるのです。

礼拝を分かち合うということは、生きることを分かち合うこと。誰と・・分かち合うのか・・それは神様の招きを受けた人たちと分かち合うことができるのだろうと思います。