巻頭言「伝わる言葉 広木 愛」

 五月の初め、公園科が終わる頃に、手話を話すKさんが教会を訪れてくださいました。筆記でいろんな方たちがどうにか対応してくださって、二時間ほど、教会に滞在されました。初めて筆談でお話してみて、わかったことは、相手の言いたいことが全く理解できないということでした。

 今、私たちに残されている神さまの語りかけは、活字になったものから、神さまを知る事ができているのですが、活字からもたくさん読み取れると思っていましたが、先日のKさんとの出会いを通して、書いている本人が目の前にいても、活字からわかることは、本当に少ないんだなぁと思わされています。聖書にもイエスさまがたとえ話を使って神さまの物語をお話になっている物語が描かれています。たとえ話がなくても、聖書がいいたいことがすんなり分かる人には、たとえ話はいらないけれども、すんなりわからない人も大多数いるのをイエスさまもご存じで、その人たちが分かりやすいように、あの手この手で聖書を語っておられたと思うと、同じ言語を話す人たちでも、伝わらないことがあったのだと聖書の時代からもあったんだなぁと思わされました。伝わる言葉、伝わらない言葉、それを自分一人で見つけることは難しいけれど、教会学校のクラスで、各会の交わりの中で、一緒に見つけていければいいなぁと思っています。

 わたしにとってKさんの大井教会への訪問は、手話ができなければ、筆談できっと通じるはず!という勝手な思い込みの枠を崩される出来事でした。私の持っているあたり前と、全く異なる人との出会いは、伝わる言葉を見つけるきっかけになるのだろうと思わされています。

 新しい礼拝堂で、伝わる言葉で、神さまの福音を分かち合っていく恵みに招かれていることを感謝しつつ、この週も歩みたいと思います。