ヨセフ、神の救いを語る ~主語は「神」~  加藤 誠

兄たちの憎しみをかい野原の穴に投げ込まれ、奴隷に売り飛ばされた時から約二十年。エジプトに食糧を買いに来た兄たちが、大臣となった自分の目の前にひれ伏す姿を見た時、ヨセフはどんな思いになっただろう。
「もう会うことはあるまい」と、遠い記憶の中に封印してきた兄たちとの突然の再会に驚くと同時に、神が二十年も前に示された「夢」がこのような形で実現したことへの畏怖の念に圧倒されたのではないか。
兄たちとの再会が、ヨセフの中にどのような心の葛藤を生み出したかを聖書は実に詳しく描く(創世記四二~四五章)。兄たちを試す厳しい言葉を投げかけ、いちゃもんをつけて困らせたり、兄たちと言葉を交わしては、その時、自分に沸き起こる感情をヨセフ自身が持てあましている。そしてヨセフは何度か人目に隠れて涙を流し、今日(四五章)の場面ではもはや平静を装うことができなくなって「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだのであった。

そのように二つの感情の間で揺れ動いてきたヨセフが、とうとう最後に「神」を主語に語りだす。「命を救うために、神がわたしをあなたたちよりも先にお遣わしになったのです」(4節)、「わたしをここに遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」(8節)。ここでヨセフが五回も「神」を主語にして語り直しているところに、ヨセフの心の中にあった兄たちへの感情の壁(憤りや憎しみ)がどれだけ高く厚いものであったかが示されているのではないか。
自分の感情に振り回され「自分」を主語に語っている間は、自分の心の中に沸き起こる嵐をおさめ、乗り越えることができなかったヨセフが、「神」を主語にして語り始めた時、「神の実現される救い」を語る者とされたのだった。