神に知られている私たち   加藤 誠 

先週の臨時総会で、新礼拝堂建築の基本計画が討議されました。最近の工事費高騰という現実を突きつけられる中、新礼拝堂建築委員会としては「礼拝堂の広さを優先した案」と「総予算の限度額を優先した案」とをどう提示すべきか苦悩しつつの提案でした。議場で出された意見を受け止め、委員会が提案を練り直していくことになると思いますが、委員のメンバーたちの多大な労苦を覚えてみんなでさらに祈りを合わせたいのです。

「少しでも良い礼拝堂を!」という思いにおいては皆、変わらないはずです。ただ予想を超える工事費高騰を前に、「献金額をどの程度に設定したらよいか」という点で不安がふくらみ、戸惑い、しり込みしている私たちがいます。当然のことです。「これしか正解はない」と委員会が大上段に構え押し切ろうとしているわけではない。みんなで「これでいこう」と一致していける「合意点」を模索しながら、それぞれ祈り、思い巡らし、自らのささげる信仰を点検しつつ語り合っていきたい。そのためにも、「こうあるべき!」と自分と違う意見を斬るのではなく、「わたしはこうしていきたい」という、新礼拝堂をささげていく「わたしの信仰の言葉」を交わしていくことができたらと思います。

総会の直後、転入会されたばかりで最後まで総会に出ていたSさんに「総会どうでした?」と尋ねると、笑顔で「楽しかったです!」との声。「それぞれの方の思いが身近に感じられて、大井教会がもっと自分の教会になりました」と。その笑顔と信仰に励まされました。私たちが歩んでいるプロセスは「ますますキリストの教会として組み合わされていくため」のプロセスなのです。しんどく感じられたとしても、使徒パウロが語っているように「神に知られている私たち」とされている恵みを覚えつつ、祈りを合わせていきたいのです。