赦しと回復を惜しまない神    加藤 誠

先週1月29日の臨時総会で、わたしたち大井教会はもう一人の牧師招聘を決議しました。わたし自身、総会前から非常に緊張した時間を過ごし、決議そのものにも自分自身の重い責任を自覚しながら手を挙げました。

 新しいスタッフのチームを組み、教会員と良いチームをつくりあげていく責任の緊張。特に若年層のメンバーが聖書から活き活きと力をもらっていく教会を目指す、その使命の重さゆえの緊張。そして、新礼拝堂建築という大きな財政課題を背負いつつ前進していく緊張。

 しかし同時に、伝道開始百年に向かう夢を描きながら、大井教会の一人ひとりが「今までの自分を何か変えていこう!」という思いで新しい挑戦に踏み出していく歩みへの大きな期待に胸がふくらみます。「神さま、あなたの聖霊の息吹を豊かに吹き込み、あなたの力によって立たせてください」という祈りにますます熱くされていきたいのです。

 

 「歴代誌下36章」は、イスラエルの民が「罪に罪を重ね」(14節)、「もはや手の施しようがなくなった」(16節)と評されるほど堕落し、エルサレム神殿を崩壊させてしまうさまを描きます。しかし、なんとその最後はペルシャ王による解放と神殿再建への励ましの言葉で結ばれるのです。「主の民に属する者はだれでも、エルサレムに上れ。神なる主がその者と共にいてくださるように」(23節)。つまり、神を畏れ敬う信仰において失敗を重ねた民が、神の憐れみのうちに礼拝する民として建て直されていく物語。反逆の民に、くりかえし赦しと回復を惜しまない神の物語。それが「歴代誌」なのです。

 「主を賛美するために民は創造された。」(詩編10219