賛美は天井を破って   加藤 誠

主イエスは私たちに「賛美」を届けてくださいました。

主イエスは飼い葉桶の中に生まれ、十字架の上に殺されるという、人間の目には最も貧しく小さな生涯を生きられました。しかし神は、その十字架の死が絶望の終わりではなく、復活と希望の命につながることを教えてくださったゆえに、私たちはたとえ死の悲しい別離を前にしても、なお神に心を向けて一緒に賛美をささげる幸いを与えられているのです。

 

二週間前、わたしは大切な友人を天に送りました。四三歳の若さでした。愛する妻と高校・中学・小学の三人の子どもを残して先にいかなければならない現実を前に、彼がどれほど大きな葛藤と闘いを歩んだかを想像します。しかし、主イエスが届けてくださった「賛美」によって、最期の一週間、家族で主の晩餐に共にあずかり、教会の友人たちと語り合い、一緒に賛美する大切な交わりが与えられました。そして葬儀の最後、聖歌隊が歌う『善き力にわれ囲まれ』(新生讃美歌七三番)の賛美をもって彼の棺は見送られていったのでした。

 

ルカ五章には、中風で寝たきりになっていた一人の人が、主イエスに癒され、「神を賛美しながら家に帰って行った」(25節)様子が記されています。ここで注目したいのは、主イエスが「その人たちの信仰を見て…」(30節)と書かれている「信仰」の中身です。他人の家の屋根瓦を勝手にはがして、寝たきりの人を天井から吊り下ろすなどということは実に非常識な行動です。しかし主イエスは彼らの非常識な行動に「信仰」を見てとり、神に向かう「賛美」を起こして、神の不思議な働きをあらわしてくださったのでした。