賛美と感謝を導く方   加藤 誠

今月は「教会音楽月間」です。先主日の第二礼拝は、大谷レニー先生の指揮で、大井教会を今日まで導いてきてくださった主なる神の「時」と「恵み」を覚え、児童科の子どもたちと一緒に「感謝」をささげる素晴らしい礼拝となりました。大井教会の教会音楽の働きが祝福され、毎週の礼拝で賛美が豊かにささげられていることを心から感謝します。

さて今朝は、マタイ二六章の「最後の晩餐」の場面を通して、私たち教会の「賛美と感謝」を導いてくださっている方を覚えたいのです。
この「最後の晩餐」では、ユダヤ教指導者の陰謀による逮捕と十字架刑を神の御旨として受けていく主イエスとは対照的に、その真意を理解できず、つまずき、裏切っていく弟子たちの不信仰な姿があぶり出されていきます。しかし、その食事の真ん中で主イエスは「賛美の祈り」を唱えてパンを裂き、「感謝の祈り」を唱えてブドウ酒を分かち合い、食卓を礼拝として導くのです。食事を終えると一同は「賛美」を歌って、オリーブ山に出かけたのでした。
主イエスの思いを踏みにじり、深い悲しみを与えているのが「自分である」とは露にも思わず、「裏切者は誰だ?」と他者に不信の刃を向ける弟子たち。ほんとうに情けない不信仰を露呈している弟子たちの真ん中で、「賛美と感謝」を導かれる主イエス。
わたしはここに、どのような時にも私たち教会の「賛美と感謝」を導いてくださっている主イエスを見ます。混乱とつまずきと不信が交錯し、とても賛美できる状態にない時にも、いや、そのような時にこそ、十字架の主は教会の交わりの真ん中で「賛美と感謝」を導いてくださっているのです。