緊張と喜びの時   加藤 誠

この四月から「もう一人の牧師」を立てて歩む、緊張と喜びの時を与えられています。二ヶ月前の教会総会で各々が重い責任を覚えながら手を挙げました。この緊張の時は、「バプテスト教会でありたい」と願う大井教会の一人ひとりにとって、「教会とわたし」を考え、祈りを新たにされる貴重なチャンスです。

四年前の主任牧師交代を前に、大井教会は「バプテスト教会とは?」「牧師とは?」と言う根源的な問いを受け、数年間の学びを重ねて、「信徒の働き、牧師の働き」という言葉にあらわしました。今、改めてその時に自分たちが言葉にしたことを読み直したいのです。

 

「私たちは最初期のバプテストの信徒一人ひとりが『宣教する弟子』としての自覚を深くもって、教会を形づくっていたことを学びました。そして私たちも大井バプテスト教会の礼拝から『宣教する弟子』として家庭や介護、職場などに派遣をされてゆく者であることも確認しました。私たち信徒の働きは派遣されたその場所で主の御言葉に聞き従い、イエス・キリストを証しし、その場所を主の命が分かち合われる場所とするために祈ることです。そしてその源泉は毎週の主日礼拝であり、祈祷会です。御言葉の取り次ぎを牧師に委託しますが、礼拝と祈祷会に集い合い、祈り合い、賛美をささげるのは私たち一人ひとりです。私たちはキリストのからだの枝として、主にあって結びつき、補い、支え合い、献げ、「共に」教会を形づくります。」

 

一人ひとりが「宣教する弟子」となっていく。そのための牧師招聘であることを心に刻みつつ、この緊張の時を喜びの時として受けていきたいのです。