神の“驚くべき働き”   加藤 誠

「神の愛」を、その言葉と行動で示した主イエスに対して、当時のユダヤ教指導者たちは「先生、しるしを見せてください」(マタイ12・38)、「天からのしるしを見せてほしい」(同16・1)と何度も詰め寄りました。「しるし」とは「きざし」「奇跡」「驚くべき働き」とも訳されて、聖書にしばしば出てくる言葉ですが、ここでは「お前さんが救い主である証拠を見せろ!」ということでしょうか。それに対して、主イエスは「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」という言葉で切り返しました。意訳すれば「しるしを求めてもきりがない。お前さんたちのなかに、ヨナのしるしに『アーメン』と応える信仰があれば、神の“驚くべき働き”が見えてくるはずだ!」となるでしょうか。

 

主イエスは「神われらと共にいます」(マタイ1・23)という真実をわたしたちの間に示す決定的な「しるし」として来てくださいました。その「しるし」たるべく主イエスは十字架につけられ、神はその十字架の主イエスを復活させられたのです。これだけ世界の中に毎日悲惨を生みだし続けているわたしたちの間に「神は共にいまし、新しい命に招き続ける」。ここに神の“驚くべき働き”があります。同様に、わたしたち一人ひとりの人生の上にも「神は共にいます」という「しるし」がいろいろな形ですでに示されているはずです。その一つ一つの“神の驚くべき働き”の重みを「アーメン」と感謝して受けていく信仰のないところで、神に「しるし」を求め続けてもきりがないのです。

「しるし」を要求する生き方から方向転換し、「神われらと共にいます」という福音に「アーメン」と応える信仰の歩みを始めていきたいのです。