神の畑、神の建物    加藤 誠

先主日の臨時総会で、新礼拝堂建築の建築設計士選定が決議されました。登山に例えると四合目にたどり着いたくらいでしょうか。ここまで二年半、毎月集まり学びと作業を重ねてきた新礼拝堂建築委員会の働きに感謝します。

一方で、総会全体で認識を共有するプロセスの大変さを改めて感じています。建築委員のメンバー間でも各々の考え方、感じ方、経験の違いがあり、お互いに「なるほど」と一致するのに時間を要したことを、さらに百人、二百人以上の人々と共有していくのです。先日の協議だけでは理解しきれない、納得できない部分も多かったかもしれませんが、総会で出た疑問や懸念を委員会が丁寧に拾い、今後のプロセスで説明を重ねる中で、教会全体で認識を共有し、新礼拝堂への思いを高めていけるようにと願い祈ります。

「土台はイエス・キリスト」。

自分たちの非力を示されることは恵みです。必要以上に卑下することなく、他者を責めることなく、自らの非力をきちんと見つめる時に「土台のキリスト」につなげられる恵みをいただくからです。先主日の第二礼拝で加藤修三兄は証の中でこう語っていました。「誰よりも弱い自分だから、臆病で、心配性で、体力もない自分だから、神さまにより頼む以外、何もできなかった。しかし、弱いからこそ、祈ることができ、聖書を開き、教会につながってこれた」と。

使徒パウロは誰よりも信仰熱心で、努力家で有能な人でした。言葉が激しく、よく他者と衝突しました。が、パウロは自分に与えられた「肉体のとげ」によって、自分の有能さや成果を誇るのではなく、「神の畑、神の建物」として、神に用いられる感謝に生きた人でした。私たちも建築に向かうプロセスを通して「成長させてくださる神」に目を注ぐ信仰に導かれたいのです。