神の恵みに向けて   加藤 誠

聖書が語る「悔い改め」は「反省」とどう違うのでしょうか。

ある人が「反省は一人で落ち込むこと。悔い改めは二人で新しい世界を切り開いていくこと」と説明していました(『なんか気分の晴れる言葉をください』塩谷直也)。なるほど、「反省」と「悔い改め」の違いを考える時、「一人」と「二人」の違いは大切なポイントになりそうです。

聖書の「悔い改め」は「それまで神に背を向けて来た者が、方向転換して、神の恵みに向けて歩み出すこと」を言います。過去を省みることは大切ですが、もっと大切なことは「神の恵みにしっかり顔を向けて歩み出すこと」です。神の恵みに目を開かれた時、真に反省すべき内容も見えてくるからです。

ただ、わたしたちは「自分一人で」はそれができません。一人の反省はただ落ち込むだけで、的外れな後悔に過ぎない場合も多い。そのようなわたしたちが自分の姿と向かい合い、神に向かう新しい歩みを始めていくためには、わたしのことを理解し、真摯に向かい合ってくれる「誰か」、あきらめないで関わり続け、励ましてくれる「誰か」を必要とします。その「誰か」=「同伴者」として、イエス・キリストはわたしたちのもとに来てくださいました。

 

ルカ19章のザアカイという男は、「ほんとうはこうありたい」という思いを抱いていながら、実際にはそれと正反対の道を選んできてしまった人であるように思います。人々の偏見や冷たい視線も彼が素直に生きることを邪魔し続けてきました。しかし、そのザアカイの心の「もがき」をしっかりキャッチした主イエスが、「今日、一緒に食事をしよう」と声をかけられた時、ザアカイの心の扉は神の恵みに向けて素直に開かれ、彼の心に喜びがあふれたのでした。