神の国のさいわい  加藤 誠

最近、ショッキングな数字を見ました。ユニセフの研究機関による「先進国における子どもの幸せ」というレポートです(2007年)。その中で「あなたは孤独を感じるか」という設問に「はい」と答えた子どもが29.8%と日本だけが突出して多いのです(他国は6~7%)。ほぼ三人に一人にあたります。

また「中学生・高校生の生活と意識」という調査(日本青少年研究所2009年)では、「私は人並みの能力がある」という設問に「まったくそう思わない」と答えた中高生が日本は他国の2~3倍(13.4%)もおり、「自分はダメな人間だと思う」という設問では23.4%、実に四人に一人が「そう思う」と答えているのです(これも他国の3~8倍)。

なぜ日本の子どもはこれほど孤独を感じ、自己肯定感が低いのか。学校や地域コミュニティ、また何より家庭において「かけがえのない存在としての自己」に目覚める経験や、お互いの価値を認め合う「居場所」が貧弱なのではないでしょうか。子どもたちを受けていく教会の責任と可能性を考えさせられます。

 

主イエスは「子どもたちをわたしのところに来させなさい…神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10・14)と弟子たちを叱り、子どもたちを抱き上げて手を置いて祝福されました。この時、弟子たちが見落としていたものとは何だったのでしょうか。また興味深いのは、その直後にエリートである「金持ちの男」に主イエスは「あなたに欠けているものが一つある」(10・21)と厳しく問いかける一方で、盲人バルティマイの叫びをそのまま受け入れ「あなたの信仰があなたを救った」(10・52)と全肯定している点です。主イエスが紹介された「神の国」において求められていることは何なのでしょうか。子ども祝福式にあたって、今朝はそのことを聖書から聴いてゆきましょう。