神の国の「網」    加藤 誠

 バプテスマのヨハネは「悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝えました。「来るべき神の裁きに備えて、心を入れ替え、律法の実行に生きよ」と説いたのです。

それに対して、イエスは「神の国の到来」を告げました。「神の愛の支配が、すでにあなたを包んで支えている!」と宣言し、「その神の働きに心を向けて、愛と喜びに生きよう!」と招いたのです。

 

 ヨハネとイエスの大きな違いは「救い」理解にあります。ヨハネが「善い行いをして神の救いを得るべし」と説いたのに対し、イエスは「神の大きな愛と赦しによってすでに救われている。神のもとにある優しさと希望を分かち合い、重荷を支え合って一緒に生きていこう!」と招いたのでした。

 

 そのイエスが、ガリラヤ湖の岸辺で網を繕っていた漁師たちに「わたしの後についてきなさい。あなたがたを人間の漁師にしよう」(マルコ1・17私訳)と声をかけます。この「人間の漁師」とはどういう意味なのか。それを今朝、聖書から聴いていきたいのです。

漁師は網を使って魚を捕るわけですが、わたしたちはイエスが示された神の国の「網」によって救われる。わたしたち自身の善行では、世界を救うことはできないからです。罪にあふれた世界は、神の愛と希望の「網」の働きによってのみ、十字架のイエス・キリストの赦しという「網」によってのみ、根源的に救われる。わたしたちを救う神の国の「網」を信頼して、いま、世界の中でさまざまな苦難や不条理を背負っている人と重荷を支え合い、一緒に生きていく。そこに「人間の漁師」の働きはあるのではないか、と。