神と人との真の交わり    加藤 誠

大井教会の「聖書日課」(一日一章)に多くの人と取り組むことができたらと願い、『からし種』を始めて半年。早朝のメール配信を受け取って「自分のノートに書き写しています」という方がいたり、「『からし種』を見る前にまず自分で一章を読んで、『今日はどこの一節が選ばれているか』を想像するのを楽しんでいます」という方がいたり。一緒に「聖書日課」を覚え合う友の存在に励まされています。
一日の初めに、ほんの短い時間でも神の前に静まり、聖書の言葉から吹き込まれる神の息吹に触れる。「ぶれない、強い信仰」を求める弟子たちに、主イエスが「からし種一粒の信仰」を示されたように、神の大きな恵みの前に、自分が小さくされる信仰を求めていきたいのです。

さて、「聖書日課」は先週からヨハネ福音書に入りました。今朝はヨハネ二章の「宮清め」の箇所に聴きます。エルサレム神殿の境内で「神にささげるための動物」を売り、「献金用の両替」をしていた人々を前に激しい憤りをあらわにし、縄でムチを作って次々に屋台をひっくり返す主イエス。直前の「カナの婚礼」では、最上のブドウ酒を用意して喜びと笑顔を分かち合った主イエスとは実に対照的な姿です。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(十九節)。
ヘロデ大王が四十六年かけて建設したエルサレム神殿は、壮麗で美しい姿を誇り、ユダヤ教徒の信仰の拠り所でした。しかし、立派な神殿の建物が神と人との礼拝を保証するのではない。十字架に磔にされた方を通してこそ、人は神との真の交わり(礼拝)に招き入れられることをヨハネは証ししているのです。